はじめに
「痛みは、我慢せずに伝えてくださいね」。
もし、あなたや大切な方が、がんと向き合っているのなら、医師や看護師そして薬剤師から、そんな言葉を聞いたことがあるかもしれません。
これまで、痛みのコントロールは「生活の質(QOL)を保つために大切」だと言われてきました。しかし、2026年1月に発表された新しい研究は、その大切さにさらに深い意味を加えてくれました。
痛みのケアは、生活の質だけでなく、長生きにつながるかもしれない。
これは、患者さんとそのご家族にとって、大きな希望のメッセージになるはずです。
国立がん研究センターと星薬科大学の共同研究チームが明らかにした、この前向きな発見について、やさしくお伝えします。
結論:「痛みのケア」は、長生きにつながり得る
研究チームは、乳がん患者さんを対象とした観察と、細胞・動物実験を組み合わせて、次のことを明らかにしました。
痛みを伝える神経が放出するCGRPとサブスタンスPが、乳がんの進行に関わっている可能性が示された[1]。
言い換えれば、「痛みをしっかりケアする」ことが、これまで考えられてきた以上に、長生きにつながる可能性を示唆しています。
医療現場で長く言われてきた「痛みは我慢しないでください」というメッセージに、新しい科学的な裏付けが加わったのです。

どうして「痛み」が「がんの進行」につながるの?
痛みを伝える神経の役割
私たちの体には、「知覚神経(ちかくしんけい)」と呼ばれる神経が張り巡らされています。やけどをしたときに「熱い!」と感じたり、針を刺されたときに「痛い!」と感じたりするのは、この知覚神経が脳に信号を送ってくれているからです。
知覚神経は信号を伝えるとき、化学物質(神経伝達物質)を周りに放出します。例えるなら、「痛みのニュースを近所に伝えるスピーカー」のようなもの。今回の研究で注目されたのが、この”スピーカー”が出す2つの物質です。
注目された2つの物質
研究チームが特に注目したのは、以下の2つの神経伝達物質です。実はこの2つは、もともと別の働きを持つ、医療現場でもおなじみの物質です。
表 注目された2つの物質と、これまで広く知られていた役割(オリジナル作成)
| 物質名 | これまで広く知られていた役割 |
|---|---|
| CGRP(カルシトニン遺伝子関連ペプチド) | 血管を広げる作用や、片頭痛との関連(片頭痛治療薬の標的としても有名) |
| Substance P(サブスタンスP) | 痛みの伝達に関わる代表的な物質(NK1受容体阻害薬は抗がん剤の吐き気止めとして有名) |
▼ 今回の研究で、両物質に共通して示された乳がんとの関わり
- 痛みが続く患者さんで、CGRPとサブスタンスPの血中濃度が高まる傾向が観察された。
- 緩和ケアで痛みがコントロールできた患者さんでは、両物質の血中濃度が低く保たれ、生存期間が有意に長くなることが報告された。
研究の3つのアプローチ
研究チームは3つのアプローチを組み合わせて結論を導きましたが、患者さんとそのご家族にとって特に心強いのは、3つ目の「人での観察」です。
① ヒトの細胞から作った『知覚神経モデル』での実験
iPS細胞(さまざまな細胞に変身できる”万能細胞”)からつくった知覚神経を活性化し、放出された物質を乳がん細胞に作用させる実験です。
乳がん細胞では、抗がん薬(ドセタキセル)の効きが弱まる方向の変化や、転移しやすい性質への変化が観察されました。CGRP・サブスタンスPの働きを邪魔する薬を加えると、これらの変化が部分的に元に戻ったため、両物質の関与が示唆されました。
② マウスを用いた動物実験
乳がん細胞を移植したマウスで、痛みを伝える神経を活性化すると腫瘍が大きくなり、CGRP・サブスタンスPを邪魔する薬を投与すると腫瘍の増大が抑えられました。実際の患者さんから得られた乳がん組織を移植したマウスでも、同じ薬で腫瘍の進行が抑えられました。
③ 112人の乳がん患者さんの観察研究 ―― 本研究で最も実用性の高い手がかり
国立がん研究センター中央病院で2016〜2022年に診断を受けた112人の進行・再発乳がん患者さんを解析した、後ろ向きの観察研究です。患者さんは、緩和ケアの介入前後の痛みの強さによって、次の3つのグループに分けられました。
- 痛みが軽度の群
- 中等度〜重度の痛みが、緩和ケアによって軽度に改善した群
- 中等度〜重度の痛みが続いた群
最も注目すべき所見は、次の通りです。
緩和ケアによって痛みがコントロールされた患者さんは、痛みが続いた患者さんと比べて、生存期間が有意に長かった。
また、3群のうち各5名(合計15名)の血液を分析したところ、緩和ケアで痛みがコントロールできた患者さんでは、CGRPとサブスタンスPの血中濃度が低く保たれていたことも分かりました。
実験室での結果と、患者さんの結果が同じ方向を指し示している――これが、この研究の信頼性を支えています。
この発見が、私たちに伝えること
「痛みは我慢しないで」が、新しい意味を持ち始めた
これまでも、緩和ケアや痛みのコントロールは「生活の質を上げるため」に大切だと言われてきました。
しかし、今回の研究は、痛みのコントロールにもう一つの新しい意味を与えるかもしれません。
それは、「痛みを抑えること自体が、がんの進行を抑える可能性につながる」という意味です。
もちろん、これはまだ研究段階の話で、「痛み止めを飲めばがんが治る」というほど単純な話ではありません。今後さらに大規模な研究が必要です。
それでも、今回の発見は、こんなメッセージを私たちに届けてくれます。
「痛みを我慢する必要はない。むしろ、しっかり伝えていい。」
これは、患者さんとそのご家族にとって、医療従事者と話をする上で大切な後押しになるはずです。
わたしの視点
薬剤師として薬局のカウンターに立っていた頃、患者さんに「痛み止めはちゃんと使ってくださいね」とお伝えする場面が何度もありました。けれど、「痛み止めはクセになるんじゃないか」「我慢できるうちは飲みたくない」と、躊躇される方も少なくありませんでした。
今回の研究を読んで、私が思い出したのは、そんな患者さんたちです。
ただ、薬剤師として気になる点もあります。
がんの痛みのケアでは、いくつかの種類の痛み止めが使い分けられています。市販薬にも含まれる比較的やさしいものから、医師が処方する強いもの(モルヒネなど)まで、さまざまです。
今回の研究で詳しく調べられたのは、その中の「モルヒネ」だけでした。そして、「モルヒネには腫瘍の進行を抑える効果は見られなかった」と報告されています。
一方で、研究全体としては「緩和ケアで痛みがコントロールできた患者さんは、生存期間が長い傾向」という結果でした。
ここから自然に湧いてくる疑問は――「では、何が長生きにつながったのだろう?」ということ。
モルヒネ以外の痛み止めにも、まだ知られていない働きがあるのかもしれません。このことについては、今後の研究を待つ必要があります。
それでも、「痛みが軽くなれば、長生きにつながるかもしれない」という大きな方向性は、この研究からも確かに見えてきています。
痛みは、患者さんお一人で抱え込むものではありません。主治医や看護師、薬剤師、そしてご家族に――どうぞ遠慮なく伝えてください。それは決して「弱音」ではなく、ご自身の治療にとっても意味のある一歩なのだと、改めて感じています。
まとめ
- 今回の研究では、痛みを伝える知覚神経が放出するCGRPとサブスタンスPが、乳がんの進行に関わる可能性が、3つのアプローチから示された。
- 112人の乳がん患者さんを対象とした観察研究では、緩和ケアによって痛みがコントロールできた方は、生存期間が長い傾向が報告された。
- ただし、緩和ケアの中で具体的に何が長生きにつながったのかは、本研究では十分に解明されておらず、今後の研究を待つ必要がある。
- それでも、痛みのコントロールは「長生きにつながるかもしれない」という新しい可能性を与える、希望のメッセージであることに変わりはない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
不安なときも、苦しいときも、「痛い」と声に出していい。それがあなたの長生きにつながる、大切な一歩になるかもしれません。
参考文献
- Makabe H, Narita M, Nagumo Y, et al. Pain signaling via sensory neurons drives breast cancer progression through neuropeptide release and κ-opioid counter-regulation. Pharmacol Res. 2026;225:108113. doi:10.1016/j.phrs.2026.108113
- 国立がん研究センター. “痛み”ががん病態に関与する可能性を報告 ―痛みを伝える”知覚神経”から放出される物質が乳がんの進行を促す仕組みを解明―. プレスリリース. 2026年4月10日. https://www.ncc.go.jp/jp/information/researchtopics/2026/0410/index.html
※ 本記事は、信頼できる一次情報源に基づき、医学・薬学の視点から解説したものです。実際の治療や薬の使用については、必ず主治医や薬剤師にご相談ください。
執筆:Miyarun(薬剤師・医学修士)
Medical Compass:〜最新治療と健康のナビゲーター〜